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2006年2月23日 (木)

花びら餅 再

hana0-1 初釜で使う「花びら餅」を作るのも、今年は今回で最後になりました。

一年でこの時期だけのお菓子です。
何とも言えない触感と白味噌餡に牛蒡。そして透けて見えるピンク色
宮中のお雑煮から来たと言うことです。
近年は期間中ちょつとした和菓子やさんで買う事が出来るように成りましたが、まだ予約販売が多いい様です。

又、来年楽しんで作る事が出来ると良いです。

hanabiramoti_1_edited1   hanabiramoti-1                                                    曲がらないように糸で縛って蜜に漬けた牛蒡hanabiramoti2

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2006年2月22日 (水)

文旦

bunntann1 昨日仕事から帰ってみたら、友人のAさんご夫妻から「文旦」が届いていました。
大きな「文旦」が九つも入っています。

「美味しそ~!」と早速、剥いていただきました。
とても甘くてジューシー!

「今年は出来が今一で小振りなものなのよ」と言っていたけれど、十分満足!!

我が家では、母が食べ易いように剥いておきます。
「グレープフルーツ」では水分が出てしまうので、「文旦」はとても助かります。
ジューシーなのに身がしっかりしているからです。

しばらく楽しんで頂けそうです。
部屋中に文旦の香りが漂って、い~い香り!

ありがとうございました。 m(__)m

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2006年2月20日 (月)

ぴーなっつ最中

20060220_1734_00001 今日、成増教室で可愛らしいお菓子を頂きました。
成田山のお土産だそうですが、ピーナッツの形をした最中です。

名前は「ぴーなっつ最中」
袋に書かれた顔と手足に丁度合うように入っているので何とも可愛らしい!思わずパチリ!

中の餡もピーナツ味(ピーナツバター?)で,今まで食べたことの無い美味しいお味でした。
H さんご馳走様でした。m(__)m

ちなみに発売元は「米屋株式会社」でした。

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2006年2月19日 (日)

親として

今年88歳になる母は、現在20年位前の手術で片肺を取り、残りの肺も1/3は潰れている事と2年ほど前、脳梗塞で倒れた後遺症もあり、今は24時間、鼻から酸素を吸入し、少し歩くと息切れが出ます。

本人はそれを着ける事を最後まで拒み続けましたが、血中酸素が「90」を切るようになった為、今は長い白いチューブを家の中で引きずるようにして生活しています。もちろん寝るときも、入浴も、トイレも・・・・と、不自由だとは思いますが何とか生活をしております。
時には、チューブにたまった水を取り除きながら「私はこっちの鼻の手入れが大変で、植木の花の手入れどころじゃなくなった」と、ぼやいてはおりますが。

そんな気丈な母も、最近は我々子供たちに「お母さんここは危ないから」とか「ゆっくり食べてね」等、注意をされることが増えてきました。本当に長い人生で「親と子は立場が逆転するんだなー」昔、父がよく言っていた「「来た道行く道」ってこれなんだな」と考えさせられる事も度々!

そんな母ですが、私が外出するときには「いいわよ」と言っても必ず「鍵は私がかけるわ」と、手すりに摑まり、チューブを引きずりながらゆっくりと玄関まで送りにきます。(喧嘩をしているとき以外は)
「いいのに!」と思うこともありますが、「親として送り出さなくては!」と言うきもちがあるのでしょうか?
こちらは、「転ばれるとあぶない」と思っているのですが。

夜も用事などで帰宅が遅いときは、「先に休んでいてね」と言っておいても帰宅して部屋を覗くとベットの中で顔を確認してから明かりを消し、就寝します。
先日も用事で帰宅が遅くなり、部屋を覗くと明かりもテレビもついたままです。覗いてみると布団から伸びた手でテレビのリモコンを握ったまま、声をかけても眠っております。

「まったく・・!」と思いながら、リモコンを手から離そうとしましたが、しっかりと握って離しません。
やっと外し、テレビと明かりを消して部屋を出ながら、「昔はこの逆もあったんだろうな~」と考えて思わず笑ってしまいました。
そのとき母はどんな思いで私の手から「おもちゃ」を外したのでしょうか?

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2006年2月18日 (土)

パン? ケーキ?

pannyakiki 週に一回、仕事で行っている川口で、懐かしいものを写真に撮らせて貰いました。

初めてこの雑貨屋さんの前を通った時は懐かしいものだらけで、しばらくお店の中を探険してしまいました。
特に前の方に並んでいる「むかしなつかしいパン焼き器」!
誕生日や特別な日に、母が焼いてくれたあの器械。

周りに何か塗ってあって、「ケーキ」だと思っていたけど、やっぱり「パン」なのね。など訳のわからない納得をしながら毎週つい、見てしまい、とうとう写真を撮らせて貰いました。

でも、私にはやっぱり「シホンケーキ」でした。

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2006年2月 2日 (木)

節分

古い友人から、何年ぶりかで電話が入りました。最初の一言が「まだやってる?節分!」
「懐かしくなって掛けた」と言います。我が家の節分行事に参加した時の事を毎年思い出すのだそうです。

どちらのご家庭にも「我が家の行事」は、有る事と思いますが、我が家では「節分」の夜に皆で大騒ぎ。それが何時から始まったかは分かりません。どんなことかと言うと、単純!!

「母が蒔く「豆」を暗い中で拾う」・・・ただこれだけの事なのです。

全員、仕事が終わった後(8時半~9時ごろだったと思います)二階の三間をあけ広げ、危険なものを移動しカバーをして置いて、「福は内」の母の掛け声とともに明かりを消して皆が必死で拾うのです。蒔いているのは豆だけではなく「当たりくじ」だったり、「飴」や「景品の番号」だったりと、毎年やっている内にだんだんエスカレートして行ったのだと思います。

大の大人が9人・10人と必死で拾うものですから、そんなに広くない我が家は大騒ぎ!

時々、明かりを点けたり消したりするものですから、そこの場所に皆が突進!明るくなった瞬間の光景と言ったらコマ送りの人形のように動いて見えて、取るのを忘れて笑い転げたりしてしまいます。

電話をくれた友人曰く「あんなに笑ったのは今迄の人生で3本の指に入る」のだそうです。

毎年23日が近づくと、各人が今年は一番になろうと内緒で策を練り(その割りに大した策では無いのですが)、隠れてエプロンの下を縫い合わせて袋を作り、取れた端から入れて行くようにしたり、大きな足を広げてかき集めそれを取ろうとしたりと大変。

せいぜい3~40分程の事なのですが、その後は、成果を見せあい、順位によって賞品が配られ見せ合ったりして夜中まで大騒ぎでした。今考えると沢山取れるもっといい方法があったと思うのですが、怪我をさせる事までして取るような事もなかったし、妹など小さい時には母が足元にわざと落としたりして皆と同じくらい拾っていました。

今は、節分に皆が集まるような事は有りませんが、家族以外、他の場所で我が家の「節分」を思い出して頂いていた事に驚きとうれしさがいっぱい。

昭和30年・40年代のお話です。

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